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ベルリン在住アーティスト、アニカ・カース 日本滞在レポート


AITが20年以上にわたり運営協力を行う「メルセデス・ベンツ アート・スコープ」は、メルセデス・ベンツ日本合同会社が30年以上続ける文化・芸術支援活動で、これまで35名以上のアーティストに海外での滞在制作や展覧会の機会を提供してきました。レジデンスでの経験を共有し次世代の育成に役立てるため、2023年からは従来の滞在プログラムに加え、多摩美術大学と連携をスタート。本ブログでは、2024年に招聘したドイツ・ベルリン在住のアニカ・カースによる滞在レポートと、日本でのリサーチの様子、および多摩美術大学でのレクチャーの様子をご紹介します。

レジデンス期間:2024年9月ー12月

アニカ・カースについて

1984年ドイツ、アヒム市生まれ。ベルリンを拠点に活動。


ヴィラ・オーロラ(ロサンゼルス)、ヴィラ・スール(ブラジル)でのレジデンスをはじめ、多くの賞やスカラシップを受賞。ハンブルガー・バーンホフ現代美術館(ベルリン、ドイツ)などで展覧会を開催したほか、第5回テサロニキ現代美術ビエンナーレ(2015年、ギリシャ)、第16回リヨン現代美術ビエンナーレ(2022年、フランス)など、大規模な国際展でも作品を発表している。2025年11月よりハンブルガー・バーンホフ現代美術館にて個展を開催予定。


Photo by Marit Blossey


はじめに

アニカ・カースは、一般的に「音楽」とされるものの境界を探る作品を制作している。彼女は、音楽が持つ文化的・社会的な役割、コミュニケーションの手段としての側面、そしてその形式的な性質を考察している。パフォーマンスやビデオインスタレーション、サウンドインスタレーションを通して、音楽や音 ーつまり音響情報ーが、さまざまな社会的・文化的・政治的な共存の文脈の中でどのような役割を果たしているのかを探っている。また、異なる分野の人々や異なる知識を持つ人々との協働は、彼女の制作プロセスにおいてとても重要な要素である。

“Infra Voice”, 2018. Three channel video and four channel sound installation, 2K, colour, sound, 10’35” Courtesy of the artist and Produzentengalerie Hamburg Photo: Hamburger Kunsthalle
“La Banda”, 2024. 4K, colour, sound, 22’00”
Courtesy of the artist and Produzentengalerie Hamburg

テキスト&撮影:アニカ・カース

聞く

このレジデンスでの私の目的の一つは、東京の実験音楽シーンを探求することだった。この街は常に実験音楽、特にノイズミュージックの最前線にあり、とても刺激的なシーンが広がっている。その世界を知るのが待ちきれなかった。日本を訪れるのは今回が初めてなので、直接体験できることに心からワクワクしていた。到着して最初にしたことは、ただ外に出て「聞く」ことだった。街の音、駅の音、店の音、そしてそこから生まれるあらゆる音に耳を傾けた。すぐに気づいたのは、東京の中心部にはありとあらゆる種類の音や音楽が溢れているということだった。メロディーや、駅で流れるような小さなジングルが絶え間なく流れている。しかし、それらは決して強く主張するわけではなく、攻撃的でもない。一方で、こうしたエリアには大勢の人々がいるのに、みな驚くほど静かだった。それが何とも不思議な感覚だった。翌日からこういった「音」の録音を始め、それが私の東京での二ヶ月半の間、日常的な習慣となった。

音楽

私は東京にある、国際的に有名なノイズや実験音楽シーンを間近で体験するために、アンダーグラウンドのライブハウスを頻繁に訪れるようになった。この街には、小規模で親密なライブハウスが数多くあり、刺激的なコンサートを定期的に開催しながら、実験音楽シーンを存続させ、常にその境界を押し広げている。お気に入りスポットは週ごとに増えていった。OTOOTO、Permian、Ftarri、Hako Gallery、ochiai-soup、POLARIS、Spread、forestlimit……挙げればきりがない。最初は、ミュージシャンや会場を運営する人々と、簡単に交流できるのかどうか分からなかった。しかし、同じ場所を二度訪れると、すぐに人々が話しかけてくれ、どこから来たのか、なぜここに来たのか、といった質問を受けた。皆、驚くほどオープンで親切で、話しやすかった。滞在中、彼らの働き方やモチベーション、そしてどのように活動を続けているのかについて、興味深い話を聞くことができた。特に印象的だったのは、とても小さいけれど活気にあふれた会場だった。小さな部屋の中で、とても豊かで驚きに満ちた、複雑なことが起きていた。
そうした場所は、何度も実験や試行を重ねるために欠かせない空間だ。アーティストたちが生き残り、活動を続けていくために何が必要か、改めて考えさせられた。また、インタビューを行う機会にも恵まれた。東北沢にある「OTOOTO」では、オーナーの木村ひろみさんと木村誠二さんに話を伺い、私のリサーチにとって貴重な知見を得ることができた。

たぬき

滞在制作中のもう一つのテーマは、伝説上の存在である「たぬき」についてのリサーチだった。私は、この生き物にまつわる神話や物語を中心に、新しい作品を制作できないかと考えていた。特に、たぬきに関連する音響的・音楽的な特徴に興味を持っていた。たぬきは、日本の民間伝承に登場し、妖怪の世界の一部とされる存在であり、しばしばアライグマのような姿で描かれる。私は長年、この生き物に魅了されてきた。たぬきの最もよく知られた特徴の一つは、変幻自在に姿を変える能力である。歴史を通じて、たぬきは時にいたずら者や悪の象徴として、また近年では遊び心ある陽気なトリックスターとして描かれてきた。現代の日本では、たぬきのイメージはずっとポジティブなものになっている。優しく、どこか間抜けな存在であり、時には幸運の象徴としても捉えられている。これは、ドイツでのアナグマが「外来種」とされる認識と対照的である。民間伝承や絵画では、たぬきはしばしば誇張された特徴で描かれる。特に有名なのは、異様に大きな陰嚢だ。また、丸々とした大きなお腹も特徴的で、時には太鼓のように叩かれることもあり、たぬきというものに音楽的要素を加えている。こうした特徴、特に可愛らしさやコミカルな誇張表現は、信楽で作られているたぬき像によく表現されている。

この機会を利用して、私は京都を訪れた後、日本最古の陶器産地の一つであり、特にたぬき像で有名な信楽へと向かった。

滋賀県立陶芸の森の勝冶真美さんと松波義実さん、そして滞在制作しているアーティストの諸角拓海さんから多大な協力をいただき、私は地元の職人さんの工房を訪れ、さまざまな形や大きさのたぬき像が作られる様子を見学することができた。また「日本たぬき学会」の大平正道教授ともお話しし、たぬき像を製造している職人さんへインタビューすることもできた。たぬきとの出会い、さまざまな物語、そしてたくさんの印象に残る出来事が詰まった、本当にわくわくする1日だった。


劇場

滞在中に思いがけず興味を持った分野の一つが、能楽だった。能は、日本の古典的な音楽舞踊劇の一つであり、独特な音楽言語を持つ芸術形式である。東京のライブハウスで知り合った友人が、これついて教えてくれたことで興味が湧き、思い立って国立能楽堂で公演を観に行くことにした。

能の公演チケットは、通常、数ヶ月前に売り切れてしまうと聞いていたので、あまり期待はしていなかった。直前のキャンセルや、窓口に残っているチケットが手に入ればラッキーくらいの気持ちだった。案の定、空席はなかった。どうしようかと外で少し途方に暮れていると、突然、一人の女性が話しかけてきて、余ったチケットを無料で譲ってくれた。友人が来られなくなったのだという。信じられないほど幸運だったし、滞在中に出会った人々の親切さにまたしても心を打たれた。

能の音楽は、本当に印象的で驚くほど複雑だった。その構造、感情的な抑揚、物語の流れは、シテ方の謡(うたい)によって主に表現され、それを支えるように少人数の楽器奏者が演奏する。音楽は絶えず舞台上に存在し、動きや言葉、演者の存在感と見事に融合していた。

国立能楽堂での観劇から数週間後、AITのチームが特別に、鳩森八幡神社の能楽堂で能楽師との交流の機会を設けてくれた。シテ方宝生流能楽師である辰巳和磨さんが私たちを迎えてくださり、その知識と経験を惜しみなく共有してくださった。私は幸運にも彼にインタビューでき、能楽の緻密な音楽構造だけでなく、何世代にもわたって受け継がれるこの伝統芸能に生涯を捧げることの意味についても、非常に興味深い話を聞くことができた。

シテ方宝生流能楽師の辰巳和磨氏とアニカ


大学

メルセデス・ベンツ アート・スコープのレジデンスプログラムでの重要な要素の一つが、多摩美術大学とのコラボレーションだった。私は、トークと実験的なワークショップを学生たちと行うことになっていた。教授陣と会うこと、学生たちと話すこと、大学の構造を知ること、そしてそれがドイツの美大での自分の経験とどう違うのかを考えることを、とても楽しみにしていた。最初のトークでは、私は自身の作品を紹介し、この15年間のアーティストとしての道のりを率直に伝えようとした。アートのキャリアをどう切り拓いてきたのか、その中での浮き沈み、喜びを感じる瞬間、避けられない困難について話した。ただ、最後はポジティブなメッセージで締めくくりたかった。私が本当に信じていること、それは、アーティストとしての活動を続けることは可能であり、それは美しく、意味のあることだということ。そして、何より大切なのは「作り続けること」と「互いに支え合うこと」だと伝えたかった。

それから2週間後、学生たちと実験的なワークショップを行った。まずは、参加者全員が簡単なプレゼンテーションを行い、それぞれのアートプラクティスについて紹介した。私は彼らの作品のクオリティの高さと、それについて自信を持って語る姿に心から感銘を受けた。

その後場所を移動し、多摩美術大学の近くにある「BLUE CUBE」と呼ばれる建物へ向かった。ここは元々大規模なスーパーマーケットだったが、将来的に多摩美術大学の美術館へと変わる予定のスペースだ。そこで、学生たちは、私が事前に出していた課題の成果を発表した。その課題とは、日常の環境音を使って短い「サウンドスケッチ」を作ることだった。

それぞれの学生のアプローチは異なり、自分が日常的に接している音の中から特定の音を選び出していた。興味深かったのは、彼らが選んだ音が、プレゼンテーションの中で語っていたテーマや関心と自然に結びついていたことだった。私は、彼らのサウンドスケッチを使って、この空間で、音を通じたアプローチを試みるよう提案した。大学がスピーカーやマイク、プロジェクターなどの基本的な機材を提供してくれたので、私たちはその場にあるものを活かして作業を進めることにした。制限時間はわずか2時間。夕方になると、もともと空っぽだったスペースは、実験的なステージへと変貌していた。そこには、雑音や環境音、インスタレーション、即興的なパフォーマンスが入り混じった、エネルギーに満ちた空間が広がっていた。学生たちはそれぞれ独自の作品を作り上げ、そのアイデアを驚くほど素早く、そして大胆に形にしていた。そこには、ユーモアや思慮深さ、機知、そして遊び心がたくさん詰まっていた。私にとってもとても特別な経験だった。正直なところ、翌日も続けられたらどんなに良かっただろうと思った。招待してくれた多摩美術大学と、そして終始サポートしてくれた教授陣に心から感謝している。

東京

帰国してしばらく経った今でも、東京での時間が色あせることは全くない。それどころか、まだ消化しきれていないことがたくさんある。出会ったものを思い返し、比較し、振り返る日々が続いている。時々、ふとカレンダーや航空券の情報をチェックしてしまうことがある。「短期間だけでも、また行けないだろうか?」そんな思いが頭をよぎる。

今は、東京で録音した音源を聴きながら、ただ思い出に浸るのではなく、制作の一環として、新しい作品の構想を練ったり、アイデアを出したりしている。持ち帰った資料やリサーチに深く潜りながら、次のステップを考えているところだ。

今後の計画としては、たぬきという存在を軸にした作品を制作するつもりだ。もしかすると、信楽で出会った職人たちと協力しながら、サウンド・スカルプチャーを制作することになるかもしれない。また、東京の実験音楽シーンで築いた新しいつながりをさらに発展させることにも強く惹かれている。そこには、将来的なコラボレーションの可能性が無限に広がっているように思える。

多くの点で、今回の滞在は「完結した訪問」ではなく「新しい作品、新しい出会い、そして新たな再訪の始まり」だと感じている。

心からの感謝を込めて。滞在中、素晴らしいサポートをしてくれたアーツイニシアティヴトウキョウの皆さん、そしてこの貴重なリサーチ・レジデンスを実現してくれたメルセデス・ベンツ アート・スコープのプログラムに、深くお礼を申し上げたい。

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